「エド・はるみ」のプロフィール

エド・はるみを、正月の特番等でよく目にして注目するようになりました。それに、ピン芸人「エド・はるみ」のブログを見つけ、のぞいてみるとこの人の人柄と、一生懸命やっているパワーも感じ興味をもって見てしまします。

「エド・はるみ」のプロフィールは、千葉県や東京都で幼少期から学生時代を過ごし、明治大学文学部卒業しました。演劇集団「円」の演劇研究所を1988年に卒業し、以降主に舞台女優として活動しています。エド・はるみが通った演劇研究所「円」は、芥川龍之介の長男の芥川比呂志らが「劇団雲」から独立して1975年に設立。芥川の後の代表に中村伸郎、仲谷昇が就任していますが、現在の代表は橋爪功です。以前所属していた俳優に岸田今日子や渡辺謙、河原さぶや真屋順子などがいます。

一方で、エド・はるみは、マイクロソフト公認の資格MOTを取得して、コンピューターインストラクターやっていました。立ち振る舞いからも想像できますが、エド・はるみは同時に携帯電話の大手電気通信事業内で、マナー講師の仕事も行っていました。特技はマラソンで、銀座の街を10km走るのが日課だそうで、10km余裕で走れます。

独身のエド・はるみの年齢は非公開ですが、5月14日生まれです。出川哲朗が役者を目指している時からエド・はるみと知り合いだそうです。2007年8月放送の日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』で、成人式を2度迎えたと発言していることや、吉本先輩芸人の品川祐がブログに「東京オリンピックの年に生まれた後輩芸人。僕の8コ上の若手。」と書いていることから1964年生まれでないかと言われます。

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「エド・はるみ」R-1ぐらんぷり

「エド・はるみ」は、「R-1ぐらんぷり2008」敗退しましたが、このところ「グーググーググググーグ、グーッ!」の踊りと顔芸で活躍する期待の若手?芸人です。


『詩のボクシング』を参考にして吉本興業が始めたピン芸コンクール「R-1ぐらんぷり」は、吉本主催の若手漫才師のコンクール・M-1グランプリの続く形で開催されています。「エド・はるみ」が出場したR-1ぐらんぷりは、古典落語以外なら「とにかく面白い1人話芸」を披露することがルールです。

「R-1ぐらんぷり2008」では、なだぎ武が2年連続優勝しました。続いて、芋洗坂係長、世界のナベアツの順でした。エド・はるみは、ふつふつと湧き上がる笑いに対する情熱を抑えきれずに、2004年から2005年ごろ表現の方向を転換します。

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30歳代の最後に「これでいいのか」と思い立ったエド・はるみは「R-1ぐらんぷり2005」に事務所に所属しないアマチュアとして出場、2回戦で敗退しました。友人の前でしかやらなかっ自分の笑いが一般に通じないことが分かったR-1ぐらんぷりの結果、エド・はるみに進路変更しました。

これを機会に、エド・はるみは、お笑いの本格的に勉強をするため、吉本興業の養成学校「東京NSC」に、11期生の最年長として入学します。「何でお母さんがいるの」などとからかわれながら授業を受け、2006年4月に卒業しています。その年の5月17日に東京都新宿区のルミネtheよしもとでエド・はるみは芸人デビューをしました。

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お笑い芸人「エド・はるみ」

『エンタの神様』です。東京NSC卒業から3ヶ月後でした。「エド・はるみ」という芸名で、お笑い芸人として活動していますが、元日テレアナ・木村優子のパロディで「木村陽子」名義で『エンタの神様』出演します。

エド・はるみは俳優として映画初出演は、1981年森田芳光監督『の・ようなもの』です。1986年には、山田洋次監督『キネマの天地 』と『男はつらいよ 幸せの青い鳥』に出ています。

エド・はるみのお笑い芸人としての舞台は、2006年6月から現在まで吉本若手ライブ『吉本新人計画』で活躍しています。ルミネtheよしもと『怒涛の新ネタ20連発!!!!!!!』や『島田洋七杯〜がばい新人グランプリ〜』などにも出演います。

エド・はるみの最近のテレビ出演は、関西テレビ『さんまのまんま』で今田耕司のイチオシ芸人コーナー、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』の大新年会マル秘芸人発掘、テレビ朝日『草野☆キッド』やフジテレビ『はねるのトびら』でネタ出演しています。

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